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株式会社 土肥富は、1892年(明治25年)に創業の釣り針の製造メーカーです。

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株式会社 土肥富 会社概要DOHITOMI

株式会社土肥富 マルト釣針小史

株式会社土肥富 マルト釣針小史

 株式会社土肥富は、兵庫県加東市新定という小さな町にあります。その歴史は1892年にさかのぼります。
最初は極く原始的な手工法で農家の副業として近隣の村人達によって釣針が作られていました。先の読める野心家で情熱家であった初代土肥富太郎は、この製法の機械化を常々考えておりました。

 その当時は電力というものが使用出来なかったので、彼は旧式のオイルエンジンを使ったりしていましたが(発動機です)そしてついに1910年に日本で初めて釣針を機械で作ることに成功しました。
しかしながら、その当時日本の漁師達は大変保守的で、伝統的なものから多少でも異なったものには興味すら示してくれませんでした。

 このようなきびしい困難に直面した彼は、一時倒産も避けられないという立場に立たされたこともありましたが、そこは不屈の精神と辛抱強い根性であきらめることなく、新製品の釣針を各地の漁師に無料で持廻って実際に使ってもらい、その価値を認めさせたのであります。漁師達は逐次マルト釣針の優秀性、特に針先の鋭利さをほめるようになりました。
しかし、この機械化は多くの製造工程の中の一部分にしかすぎませんでした。もっと改良し、新たな開発によるより良い機械の必要性に迫られました。


土肥富の歴史2

 第二次大戦後、国際貿易の再開と同時に私達の市場(マーケット)は急速に拡大して参りました。この情勢に呼応すべき必要があったので、二代目社長土肥富誉はようやく全自動釣針製造機を開発、近代化に成功したのであります。又一方、焼入れの自動化連続化にも成功した結果、良質で且つ量産できるようになり、その成果は大きなもので、現在では月産2億本が製造可能となりました。
 私達技術陣は「より良いものを、より安く」をモットーに日夜努力しております。
今後共よろしくお引立ての程をお願い致します。製品についての御照会、お問合わせを頂ければ幸甚でございます。

小寺彦兵衛

播州針の礎を築いた小寺彦兵衛の肖像画

 播州地方における釣り針製造の始まりは諸説があります。
その中でも加東郡下久米(現加東市下久米)の小寺彦兵衛が、土佐で釣り針製造の技術を学び、播州に持ち帰ったのが始まりという説が有力です。
 他には、加東郡池田村(現小野市池田町)の源右衛門や多可郡上比延町(現西脇市上比延町)の新兵衛という説もあります。


社長挨拶

 本社の前身は、明治25年土肥富太郎によって、創業されました。当時は専ら旧来方式である手工製の釣針で、一本づつヤスリで削り、曲げて作られたものでした。これでは、一日に精々1,000本余りの数量しか出来ず、手間暇がかかり大変な作業でした。なんとかこれを能率化しようとして、種々研究を重ね、職工であった藤原重太郎、田中柳吉両名と力を合わせて、明治40年にようやく機械製の釣針の完成を見るに至りました。
 一方、販売・販路については、従来の手工製釣針と若干異なる点が指摘され、見劣りするとか、重厚性にかけるとか、なんぐせをつけられてなかなか使用してくれなかったのを、各地の漁師を訪問し、無料で新製品を配布して宣伝に努め東奔西走しました。ようやくにしてその真価を認められるまでに、相当の期間と犠牲を必要としました。

 本社が機械製の釣針製造元祖として自負するのは、初代土肥富太郎が業界に先んじ、大きな犠牲を払いながら、偏見と労苦を克服して、ここに日本一の釣針産地としての基礎を切り開き、築き上げて行ったからです。そして今日、彼を全国生産の95%を占めるに至った播州針の中興の祖と言っても過言ではないでしょう。

 土肥富太郎商店では大正3年頃より、既に海外より釣針の注文を受けて着々と販路を開拓し、輸出の進展に寄与し国の内外需要に大きな実績を作り上げ得たのも、機械製釣針による性能・能率等が功を奏したからであります。
 昭和24年、二代目社長土肥富誉は、わが国で初めての自動製針機を開発しました。それ以降、これに改善と改良を加えて適応範囲を拡大したり、一層難易度の高い機械へと推し進めてきました。
 昭和30年11月3日憲法発布の日を卜(ぼく)して兵庫県知事より、地方産業振興発展に寄与した功績を讃え、富太郎が表彰されたことは、わが社の最も光栄とする処であります。

 本社は掛かる創業者の偉大な功績と労苦を忘却することなく、機械の改善に専念し、品質の統一や原価低減に不断の努力を続けなければなりません。
 昭和30年日本国通産省の指導の下で、日本工業規格JIS-S-7001釣針が制定され、JISマークの表示許可工場がこの地に10数軒も出来て、いよいよ工業標準化と品質管理が急速に普及していきました。 そして昭和32年12月24日、わが社は日本国通産省から日本工業規格JISマーク表示許可工場第5697号を頂きました。
 爾来、我が社の品質管理の精神的な支えとなっております。いつの時代も良質でよいものを人々は求めていることを忘れないで精進する所存です。


(株)土肥富 社訓

経営理念 (OUR MISSION=指命)

1)釣人に釣魚を通して健康を増進し、長寿を全うして頂こう。
2)世界の漁師に釣針を通して、魚の収穫に寄与する。

社是

最良の奉仕へ 最大の努力を
最小の犠牲で 最大の効果を
誠心誠意は 信用の根源なり

社訓

1)開拓者精神を片時も忘れるな!
2)釣針を通して、世界の人々の生活を豊かに!
3)豊かな生活は、豊かな心と技術から産まれ出る!
4)絶えざる反省が進歩を生む、ただ前進あるのみ!


新JISマークについて

新JISマークの認定を受けました

我が社は新JISマーク表示認証を受けました。

播州針

 現在の播州針は加東市東部旧東条町を中心とした地域に、幕末の嘉永年間、小寺彦兵衛翁を元祖として興りました。
現在も培った技術と伝統を基に高品質な釣針を供給し続け、全国に播州針として広く知られています。

そして2010年6月 長年努力の確かな技術、地場産業としての確立が認められ「播州針」が地域団体商標に登録(申請者:兵庫県釣針協同組合)されました。

播州針ロゴ

事業内容

事業内容 のご案内
 釣り針・釣具の製造販売を行っております。



釣り針製造のフローチャート

釣り針製造のフローチャート

釣り針の製造工程を簡単に紹介します。
線材と呼ばれる鉄鋼などの原材料を釣針に必要な長さに切断し、その先端を尖頭(先に削って鋭くする)して長さを揃えます。次に釣針の形に曲げていきます。これを整型といいます。形の整った釣針は熱処理炉の中で加熱し焼入れをし、焼戻しをして、釣針を強靭なものにします。そして水みがき、挽粉みがきまたは化学研磨をし、その後メッキ又は焼付塗装のどちらかの仕上げ(表面処理)をします。次に撰別、秤量後、スネル加工又は包装を経て梱包され、出荷されます。


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ショップ情報

株式会社 土肥富

〒673-1324
兵庫県加東市新定382-3
TEL.0795-46-0001
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maruto@fishhook.co.jp
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